2025年9月7日日曜日

●言霊主義、思霊主義、努力論が邪魔をする■社会※2025/09/06 9:28

「配られたカードでやっていくしかない」というのは、いちおうは、正しい。あくまでも、「いちおう」だけどなぁ。

基本的には、それでも、カードの格差を、小さくするように、社会的に努力しなければならないのである。だから、社会的に小さくすることを、最初からあきらめずに、社会的に小さくすることに賛成しておいたほうがいい。

もちろん、目の前のことに対処することも必要だ。だから、「配られたカードでやるしかない」と思うこともあるだろう。

けど、それとは、別に、社会的に「配られたカードの格差」を小さくすることに、賛成することだってできるだろう。

ようするに、排他的ではないのである。

目の前のことに対処すると同時に、カードの格差を小さくすることを考えてることは可能だ。そして、社会的にカードの格差を、小さくすることを目指すこと自体は、可能なのだ。

ところが、言霊主義、思霊主義、努力論が邪魔をする。

こういうことを信じると、即座に、「格差を肯定する」ことになってしまうのである。個人的な努力でどうにかするべき問題だという認識が生まれてしまうのである。個人的な努力ではどうすることもできない部分があるので、なるべく小さくする方向を目指すということが必要になるのだけど、なるべく小さくする方向を目指すということを、バカにするようになるのである。

無価値なのは、「格差を肯定」して「自分だけは這い上がれるようにと罠にはまること」だ。

これ、罠なのである。 

言霊主義、思霊主義、努力論で「個人的に」対処すればいいということになると、社会的に対処する方向について、まったく考えなくなってしまうのである。社会的に対処するべきだという人をバカにするような態度が発生するのである。

いま、目の前のことに個人的に対処すればいいのだという意見を言っている人たちは、みんな、洗脳されて、アホなことを言っている人たちだ。

まず、努力論は抜かして考えるけど、言霊主義や思霊主義は、無益で有害な対処方法なのである。そして、努力論に関しては、むかし、書いたから、ここでは省略する。努力をすること自体は、ある程度「目の前の問題」を解決することができるのである。

しかし、「努力をすることもできない」状態の人には、意味がない解決方法なのである。そして、だれもが、努力することができるという精神論は、言霊理論や言霊主義や思霊主義と同じ問題をかかえているのである。

そして、努力論で問題を解決しようとすると、あとで「しっぺがえし」をくらうことが多いのである。

まあ、退職してから、しっぺがえしをくらうやつが、続出しているね。

そして、努力論で個人的問題を解決しようとすると、悪い意味で競争力が増し、不幸への圧力も増すのである。

努力論を個人的に語る場合は、いかにもいいような感じがするように、語るけど、これは、悪魔のリップサービスみたいなもので、あとで、ひどい目にあうことが、ある程度決まっているところがある。

最初は、いかにも、よさそうなことを言うのである。問題が解決するようなことを言うのである。そして、実際に問題が解決したように見えるのである。

ところが、なぜか知らないけど、どんどん自分の首をしめるようになるのである。あとで、しっぺがえしをくらうように、できている。

けど、あとで後悔しても、おそいのだ。

ともかく、個人的にはどうであれ、社会的には、努力論的な解決方法は、よくない解決方法だ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。